自己紹介文

1965年(昭和40年)8月19日九州は福岡県甘木市(現在;朝倉市)に生まれる。実家は戦前は手打ちうどんの店、戦後は駄菓子屋からパン屋・・・屋号は、三角屋(みすみや→さんかくや)。後に近くの酒屋が某コンビニに業態を変えるなど、周辺環境もあり、私が東京に出た後に廃業。

小学校は市立甘木小学校。野球(というかその当時はソフトボール)に明け暮れる。青少年赤十字団の団長。少年バスケットボールのキャプテン。

中学は西南学院中学校。中学はキリスト系の男子校。片道1時間半かけ、地元から福岡市内に通学。軟式テニス部兼宗教部。毎日、般若心経を唱えつつ、日曜日には教会に行くような、とはいえ、ややツッパリ的なこともやり、田舎のヤンキーなこともちょこちょことつまみ・・・。3年の夏から失恋を踏み台に、猛勉強。

高校は久留米大学附設高校。当時は男子校。高校では、近所の信愛女学院の子たちなどにもてたく、バンド結成。文化祭当日はバンドのボーカル兼生徒会会長代行(会長が失踪?)で、体育館でSHOUT! またまた失恋を踏み台に、「おれは地元に残るものか!東京に行くぞ!」と、いろいろ大人なことも覚えつつ、猛勉強(?) とはいえ、現役で受験したところは全滅。

一浪。久留米大学附設高校補習科。近所のアパートに同級生と集団寄宿。猛勉強!?+アルファ・・・。

大学は東京大学文科Ⅱ類(現役のときは文科Ⅲ類を受験)、その後、ほぼ自動的に、経済学部経営学科。物珍しい東京で遊び呆け、学校のテニスサークル(サンフレンド)は夜の企画部長をやりつつ、自分で、いわゆるオールラウンドサークル(Blue Chip)をつくり、ダンパ、フリーペーパー(SPOON)の立ち上げに参画したり、旭川スキーツアーなどを企画したり。

というわけで・・・

第二外国語は中国語ですが、浪人時代に覚えた麻雀を打つ時の、チー(ツェー)の発音が東大に入りうまくなるくらいで・・・・・ ゼミはベイズ統計学(鈴木雪夫先生)でありながら、鈴木先生のテストで答案にまともに書けないのが露呈するのが恥ずかしく、退官された翌年、5年生で鈴木ゼミの先輩にあたる国友先生の「基礎統計」の単位を取得。

ですから、もちろん一留。

大学時代にいわゆるバブルを少しかじりつつ、売り手市場の強気な交渉を経て、バブルの余韻とその期待で1990年(平成2年)就職したのは株式会社電通。

セールスプロモーション局に入り、バブルの余韻も一気に消え、日々の業務に没頭?印刷制作のデジタル化(DTP)の現場体験をきっかけに、デジタル化の進展の今後の業界におけるインパクトを社内で訴え、その後、社内のデジタル関連の部署の初期の立ち上げにかかわり、その後の関連部署の拡大過程を経験した数少ないメンバーの一人。インターネットの勃興期にもあたり、シリコンバレーをはじめ多くのテクノロジーや人々の熱意(ベンチャースピリット)を結果として浴びることに。

そんな熱意にほだされて、新規事業の開発などを企む。そのひとつがきっかけになり、約1年間の準備期間を経て、NEC・電通・ニッポン放送・ポニーキャニオンが出資した株式会社ネットワークコミュニティクリエイション(略称;ネコクリ)が1998年(平成10年)1月22日設立。

設立と同時に、もちろん志願し出向。女性コミュニティサイトMail&Chat Club(メルチャ)を立ち上げる。ネットコミュニティはビジネスになるか?と4年間奔走模索。JAR(JapanAccessRating)女性コミュニティ部門開設以来連続1位、動物占いをインターネットでサービスイン、会員を利用したリサーチの仕組みをつくったり(チャッティングを利用したネット懇談会やオンラインCM評価など・・・)、女性サイト連合広告企画の商品化、各サイトにまたがるポイントの仕組みをつくったり、会員の声で家具や飲料、トイレタリーなどの商品開発をしたり、本を作ったり、あ!そういえば、Yahoo!カフェより前に、表参道の裏にインターネットカフェ(メルチャAOYAMA)をつくったり・・・。そこでは、オフ会やTV番組収録、イベントなども。事業は立ち上がりの苦難を乗り越え、一時、やや好転もするが、その直後にネットバブルも経験。悔やむのは、動物占いがブレイクする前に止めざる終えなかったこと、招き猫栗という天津甘栗の商品をつくるも甘皮をむかなかったこと、もともと女子高生のポケベルで文字情報をやりとりしているのを見て事業アイデアが生まれたにも関わらず、というかそれゆえにi-modeがここまで普及するとはその当時見抜けなかったこと、そして、最大は、事業そのものが早すぎたこととそれをブレイクするまで続けられなかったこと。そして所詮、自分は、創業者気取りの出向者だったこと。

2002年(平成14年)電通に戻り、戻ってからはキャンペーンプランニング、医療用医薬品のDTC広告などの新しい広告領域の開拓、セールスプロモーションの領域のデジタル化などに取り組む。

2005年(平成17年)6月末に退社。同年7月株式会社サンカクカンパニー創業。同年12月にシナジーメディア株式会社社長に就任。休日は地元のスポーツ少年団のサッカーのコーチ(?)ということで小学生といっしょに汗を流しています。

2008年10月に設置された「社長ブログ」への書き込み継続に四苦八苦しながら現在に至る。






将来は、世が世なら、地元に戻り、愛と平和の草の根外交と産業振興のためにも『アジアンハリウッド』と少子高齢化社会からの脱却のためにも『多夫多妻制』の導入を実現することに尽力したいという野望と、喫茶店の「オヤジ」になり青少年の恋の悩みなどに耳を貸したり昼間からウトウトしつつコロリとあの世に行きたいという願望をあわせ持つ。